ヘルツの部屋にはごみが散乱していた。
個人によって部屋の構造や備品に差があるが、ヘルツの部屋は変わっている部類だった。
ヘルツが入る前からよれよれの服や古い本が散乱していたが、ヘルツが来てからさらに古いものが詰みあがっていった。それでもヘルツは気にしなかったし、むしろ居心地がいいくらいだった。
レナが言っていた『面白いこと』が脱出することだということはヘルツも知っていた。さりげなくメモを交換することで、レナが本気であることを確証した。ヘルツもそれに賛同し、協力することを約束した。
外の世界へ行けばいつでも新鮮な血が確保できる。ヘルツの目的はそれだ。
何か手がかりはないかと以前この部屋の住人が残したであろう物を手当たり次第探していくうちに、ヘルツは壁に穴が開いていることに気がついた。それは薄い板と布で隠されていた。
ひょろ長い体を穴に入れ中を進んでいったが、残念なことに穴は外まではつながっていなかった。代わりに見つけたものは、白骨死体。以前この部屋にいた人間か? いや、それならばこの施設の職員が見逃すとは思えない。ではなぜこんなところに穴があり、死体のようなものがあるのか? 罠? 何のために? いいだろう、罠だろうが何だろうが使えるものは使ってしまえ。
ヘルツはひとまず穴をふさぐと、古くなった服をかき集めた。たしかコルクボードで、布を集めて裁縫をしている人間がいたはずだ。日差しを遮る簡単なコートくらい作れるだろう。
賭けの要素は大きいが、ヘルツの中である計画が練りあがっていった。
ヘルツの部屋のブザーが鳴った。
中に入った職員が見たものは、白骨化した死体だった。
自称吸血鬼――その思い込みの力で、もしくはナイトメアの力でこうなってしまったのか?
カーテンが外され、光が差し込む部屋で職員は立ち尽くしていた。頭上を通り過ぎていく小さなこうもりに気付くこともなく。
「きれいなお姉さん、娯楽室でお茶でもどうです?」
杏柚はそれが自分にかけられた言葉だと気付かなかった。
「俺がここに来たのはあなたに会う運命だったのかなーなんて」
左目に眼帯と根元から黒くなってきている髪が特徴的な、アジア系の男が杏柚を口説いている。
「まさか私のことを言っているのではないだろうな」
「あなたのことですよ!」
男は壁に手を付け、杏柚の顔を覗き込んで笑った。
「君が小黒(シャオヘイ)か、ここでは軽率な行動は慎むべきだ。与えられた娯楽すら取り上げられても私は知らないぞ」
杏柚は顔色一つ変えずに言った。
「マジっスかー……あの、じゃあここを出て自由になるにはどうすればいいのかな?」
「そういうことを口にするなと言っているんだ。私には君の問題行動を上に報告する義務がある」
押しても引いても杏柚は動かず。しかし小黒も一筋縄ではいかない男だ。
「んじゃ脱出計画でもねらねーとなぁ、愛の逃避行ってやつ」
一人そんなことをつぶやいていると、肩にトンと感触があった。小黒が首を傾けて見ると、白い手が肩に乗っていた。
「だめよ、そういうことは。これまでにここを逃げ出そうとした人間がどうなったか知らないのね」
バネットだ。
「お嬢さん、お名前は? 俺は小黒。寝込みを襲われて気付いたらここにいました!」
小黒の顔がパッと輝いた。くるりと身を翻すと、両手でバネットの手を取る。
「私はバネット。あなたのことなら色々知ってるわよ、ここではナイトメアも隠せないの」
ナイトメアも隠せない? つまり収容者すべてのナイトメアは完全に把握されているということか? 小黒の顔に一瞬怪訝な色が浮かんだ。
「それってつまり、どういうことです?」
「全部知ってるっていうこと。あなたたちは私たちの箱にいるんだもの」
「ゴキブリホイホイに入ったゴキブリみたいに言わないでくださいよ~」
小黒はバネットの手をそっと放し、一歩後ろに下がった。なーんか嫌な予感がする。
「ここを脱走しようとしたらどうなるか、もし知りたいなら自分でやってみるといいわ。死ぬほど後悔したいならね」
バネットの笑顔が不気味にゆがんだ。
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