――ツバメと梨野 五平
「俺はここを本拠地にするつもりはないからな」
ワゴンの上にポットやティーカップを並べながら、ツバメが言った。もちろん愉快な口調などではない。
「つーかここの連中は何をやってるんだ? お茶会か?」
買出しの仕事で頼まれたクッキーやスコーンをワゴンの中に並べて入れるツバメは、頭の上に『?』の字を三つほど並べているようだった。
「私が見て来ましょうか?」
影の薄すぎる男、梨野 五平(なしの・ごへい)がツバメに問うた。声を出すか、腕章をつけていなければ普通の人には感知が難しいほど存在感がない。それが彼の能力だ。
「いや、ほっとけ。それよりこの雑用が終わったら施設内を見て回る。セキュリティで入れるところとは入れないところがあるだろうし、非常口や防火シャッターなんかの位置を把握して避難経路を確保しておきたいしな」
「いざとなったら逃げるためですか?」
「逃げるっていうか、生き残るためにこの施設の情報を集めておきたいんだ。生存本能みたいなもんかもな」
「わかります」
「まぁ他にやることもないしな‥‥っていないのかよ」
ツバメが振り返ると、五平はすでに姿を消していた。
二人が血を交わした仲間であり、五平の能力『Ansel』に左右されないとしても、足音を消した歩き方が常になっている五平の存在感はやはり濃いとはいえなかった。
一仕事終えると、ツバメは小さなノート片手にまず施設の内と外をつなぐ出入り口の調査を始めた。
(「さて、それらしいグループは‥‥」)
五平は娯楽室にいた。
娯楽室では、ツバメが用意していたお茶が振舞われていた。
五平の存在には誰も気付かない。それが彼の能力『Ainsel』である。
例のグループは大方頭をくっつけてひそひそ密談でもしているのかと思ったが、娯楽室の和やかな雰囲気にすっかり溶け込んでいるようで一目でそれとはわからなかった。
実際レナたちはチェス版を囲んでゆったりと会話をしていた。こんなところでいかにもそれらしく密談などしていたら、職員はおろか他の収容者にまで怪しまれてしまう。
そこで五平は、慎重に室内に潜入した。
「レナもこの雑誌見てくださいの。素敵な猫ですの」
どう見ても十歳程度にしか見えない、真っ白な肌の少女が別の少女に雑誌を渡していた。
「どれー、ほんと、かわいいね。ここでも動物を飼えばいいのに」
「動物は癒されますの」
白い少女は目のない猫をなでながら答えた。
五平はレナと呼ばれた少女が手にした雑誌に、何かが挟まっているのを見た。ほんの一瞬だったが、折りたたまれた紙のように見えた。
五平はこのグループに目をつけ、そばでじっと監視を続けた。
話を聞いているうちに、それぞれの顔と名前は把握することができた。
「お嬢さん」
手を洗いに廊下に出た希に、五平は声を掛けた。はじめ、希はきょろきょろと辺りを見渡していた。五平に気づかなかったのだ。
「ここです」
ちょん、と肩に触れられて、希はようやく五平の姿を確認すると共に緊張した面持ちになった。
「あなたは誰?」
「梨野と申します。相方が世話になってます」
五平はサッとハンカチを広げた。ハンカチの隅には羽を伸ばした燕の刺繍が入っていた。ツバメ宛に希が送ったものだ。
「相方に借りてきたものです。これが証明になりましたか?」
五平の問いに希はこくりと小さく頷いた。
「実は『テスト』に協力するよう言われたんですが、特に何をしろとも言われていないので困ってるんですよ。よろしければお話を聞かせていただけませんか?」
五平の突然の申し出。希はどうするべきか判断に迷い、沈黙した。相手が誰であれ味方という確証がなければ簡単に自分たちのことを話すにはリスクが大きい‥‥。
「こちらとそちらの情報交換だけでもどうです?」
「私の情報は、私一人のものじゃないから、ここで簡単に決めることはできない。地図や針はもらったけど、テストがあるのだとしたらヒントを与えることで私たちを試しているのかもしれない」
五平は食い下がってみたが、希はそれを断った。
「やれやれ、さすがというか、大きな計画に乗っているだけあって慎重ですね」
五平は肩をすくめ、希から遠ざかろうとした。だんだんと周囲に溶け込み、気配の薄くなる五平。
「待って、梨野さん」
慌てて希が呼び止めた。五平は足を止め、くるりと振り返る。
「その、私にくれた地図は、本物なの?」
冷静にならなければ、と心ではわかっていても、希の心臓は鼓動を早める。
五平から言葉が帰ってくるまでの時間が、やけに長く感じた。
「本物だと思います。ツバメは偽の地図を仕込んだり、そういう面倒なことをする人ではありませんから」
それは五平の本音だった。
「ハンカチ、気に入っているみたいでしたよ。普段は無口なのであなたに直接お礼を言いにくるかどうか怪しいですから、私からお礼を言っておきましょう。ありがとう。それから、これは私からの情報提供ですが、所長‥‥アルバート・ディラックとバネットという女性は、親子です」
希はその言葉にはっと驚いた。親子。バネットとディラックが。それはつまりアリシアとディラックが親子だということ。
「私が交換できる情報はない。さっきも言ったけど、私の持っている情報はみんなで集めた、みんなの情報だもの」
胸の前で両手を握り締めて、希が言った。
「結構です。仲間を大事にされることはいいことですよ」
希の目には、五平が少し笑ったように見えた。嫌な笑顔ではなかった。
「俺はここを本拠地にするつもりはないからな」
ワゴンの上にポットやティーカップを並べながら、ツバメが言った。もちろん愉快な口調などではない。
「つーかここの連中は何をやってるんだ? お茶会か?」
買出しの仕事で頼まれたクッキーやスコーンをワゴンの中に並べて入れるツバメは、頭の上に『?』の字を三つほど並べているようだった。
「私が見て来ましょうか?」
影の薄すぎる男、梨野 五平(なしの・ごへい)がツバメに問うた。声を出すか、腕章をつけていなければ普通の人には感知が難しいほど存在感がない。それが彼の能力だ。
「いや、ほっとけ。それよりこの雑用が終わったら施設内を見て回る。セキュリティで入れるところとは入れないところがあるだろうし、非常口や防火シャッターなんかの位置を把握して避難経路を確保しておきたいしな」
「いざとなったら逃げるためですか?」
「逃げるっていうか、生き残るためにこの施設の情報を集めておきたいんだ。生存本能みたいなもんかもな」
「わかります」
「まぁ他にやることもないしな‥‥っていないのかよ」
ツバメが振り返ると、五平はすでに姿を消していた。
二人が血を交わした仲間であり、五平の能力『Ansel』に左右されないとしても、足音を消した歩き方が常になっている五平の存在感はやはり濃いとはいえなかった。
一仕事終えると、ツバメは小さなノート片手にまず施設の内と外をつなぐ出入り口の調査を始めた。
(「さて、それらしいグループは‥‥」)
五平は娯楽室にいた。
娯楽室では、ツバメが用意していたお茶が振舞われていた。
五平の存在には誰も気付かない。それが彼の能力『Ainsel』である。
例のグループは大方頭をくっつけてひそひそ密談でもしているのかと思ったが、娯楽室の和やかな雰囲気にすっかり溶け込んでいるようで一目でそれとはわからなかった。
実際レナたちはチェス版を囲んでゆったりと会話をしていた。こんなところでいかにもそれらしく密談などしていたら、職員はおろか他の収容者にまで怪しまれてしまう。
そこで五平は、慎重に室内に潜入した。
「レナもこの雑誌見てくださいの。素敵な猫ですの」
どう見ても十歳程度にしか見えない、真っ白な肌の少女が別の少女に雑誌を渡していた。
「どれー、ほんと、かわいいね。ここでも動物を飼えばいいのに」
「動物は癒されますの」
白い少女は目のない猫をなでながら答えた。
五平はレナと呼ばれた少女が手にした雑誌に、何かが挟まっているのを見た。ほんの一瞬だったが、折りたたまれた紙のように見えた。
五平はこのグループに目をつけ、そばでじっと監視を続けた。
話を聞いているうちに、それぞれの顔と名前は把握することができた。
「お嬢さん」
手を洗いに廊下に出た希に、五平は声を掛けた。はじめ、希はきょろきょろと辺りを見渡していた。五平に気づかなかったのだ。
「ここです」
ちょん、と肩に触れられて、希はようやく五平の姿を確認すると共に緊張した面持ちになった。
「あなたは誰?」
「梨野と申します。相方が世話になってます」
五平はサッとハンカチを広げた。ハンカチの隅には羽を伸ばした燕の刺繍が入っていた。ツバメ宛に希が送ったものだ。
「相方に借りてきたものです。これが証明になりましたか?」
五平の問いに希はこくりと小さく頷いた。
「実は『テスト』に協力するよう言われたんですが、特に何をしろとも言われていないので困ってるんですよ。よろしければお話を聞かせていただけませんか?」
五平の突然の申し出。希はどうするべきか判断に迷い、沈黙した。相手が誰であれ味方という確証がなければ簡単に自分たちのことを話すにはリスクが大きい‥‥。
「こちらとそちらの情報交換だけでもどうです?」
「私の情報は、私一人のものじゃないから、ここで簡単に決めることはできない。地図や針はもらったけど、テストがあるのだとしたらヒントを与えることで私たちを試しているのかもしれない」
五平は食い下がってみたが、希はそれを断った。
「やれやれ、さすがというか、大きな計画に乗っているだけあって慎重ですね」
五平は肩をすくめ、希から遠ざかろうとした。だんだんと周囲に溶け込み、気配の薄くなる五平。
「待って、梨野さん」
慌てて希が呼び止めた。五平は足を止め、くるりと振り返る。
「その、私にくれた地図は、本物なの?」
冷静にならなければ、と心ではわかっていても、希の心臓は鼓動を早める。
五平から言葉が帰ってくるまでの時間が、やけに長く感じた。
「本物だと思います。ツバメは偽の地図を仕込んだり、そういう面倒なことをする人ではありませんから」
それは五平の本音だった。
「ハンカチ、気に入っているみたいでしたよ。普段は無口なのであなたに直接お礼を言いにくるかどうか怪しいですから、私からお礼を言っておきましょう。ありがとう。それから、これは私からの情報提供ですが、所長‥‥アルバート・ディラックとバネットという女性は、親子です」
希はその言葉にはっと驚いた。親子。バネットとディラックが。それはつまりアリシアとディラックが親子だということ。
「私が交換できる情報はない。さっきも言ったけど、私の持っている情報はみんなで集めた、みんなの情報だもの」
胸の前で両手を握り締めて、希が言った。
「結構です。仲間を大事にされることはいいことですよ」
希の目には、五平が少し笑ったように見えた。嫌な笑顔ではなかった。
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